まったく違う「終わり」を思い描くことから始める
更新日:8月13日
人の学びや成長には、まったく違う二つの「終わり」から始めることができます。ある特定の行動をもっと取れるようになること。それとも、その場でどうするかを自分で考え、決められるようになること。
その境目は、わりとシンプルです。白黒がはっきりしていることなら、新しい具体的な行動を身につけることをゴールにしてもいい。でも、仕事がグレーゾーンに入ってくると、自分で考え、自分で決める力のほうが重要になってきます。
この二つでは、プログラムのつくり方がまるで違います。
もし後者、つまりグレーゾーンでどうするかを自分で考え、決められるようになることがゴールなら、プログラムに組み込まれた評価やフィードバックを、すべてなくす必要があります。最後まで。
褒めない。批判しない。参加者同士で評価しない。講師も評価しない。点数もつけない。そして最後になって、実は評価が待っている、ということもありません。
ちょっとジムに似ています。プログラムの中では、普段ならあるものを一時的に取り除きます。「自分は正しいことをしているのか」を教えてくれるフィードバックです。それが負荷になります。
簡単に答えをもらえない中で、その状況と格闘し、自分にとって何が筋が通っているのかを考え、自分で決めなければなりません。そしてプログラムが終われば、フィードバックだらけの現実の世界に戻っていきます。
ただ、その前に、自分で考えて決める力を少し鍛える時間を持った、ということです。
このデザインは、ファシリテーター(私も含めて)にも独特の負荷をかけます。本当のゴールから目を離さないことが、意外と難しい。困っている人がいたら助けたくなるし、いい発言をしたら褒めたくなる。フィードバックをしたくなる。それはあまりにも普通のことで、多くの場合は役にも立ちます。
でも、自分で考え、自分で決められるようになることがゴールなら、私はそうした自分の衝動を、いつもより少し注意深く見ておく必要があります。
私はもう10年近く、これを自分の「終わり」として仕事をしてきました。それでも、自分の考えに近い答えが出てくると、知らず知らずのうちに褒めてしまっている自分に気づくことがあります。このやり方は私自身の限界もかなり試してきます。
セッションが終わると、ちょっと汗をかいて、ぐったりしていることもあります!
もしこのやり方を試してみたい方がいたら、二つの「終わり」によってプログラムのつくり方がどう変わるのか、簡単な比較表を添付しました。
こういうアプローチをしているのは、もちろん私だけではないと思います。似たようなやり方を試して、苦労したこと、うまくいかなかったこと、逆にうまくいったことがあれば、ぜひ聞いてみたいです。


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