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「どうすれば、人を育てられるのか?」

執筆者の写真: jameschappell2
jameschappell2
10月29日
読了時間: 3分

リーダーたちは、真剣にこの問いの答えを探しています。でも私は、この問いそのものに落とし穴があると思っています。


刺激を与える。自分の成功体験を語る。アドバイスする。


どれも理屈は通っていますし、役に立つこともあります。ただ、そうしている間、私たちの頭はずっと「どうすれば相手を変えられるか」でいっぱいです。


ときには、ずいぶん回りくどいこともします。


それとなくヒントを出す。伝えたい教訓にぴったりの苦労話を選ぶ。うまく伝わるように話を整え、場合によっては少し脚色する。


その話をするのは、今も自分の中で引っかかっているからではありません。


聞いた相手が変わることを期待しているからです。


でも、人が一緒にいることで、もっと自然に変わっていく場面を、私は経験しています。

昔、バスケットボールのチームに入っていた頃のことです。


試合が終わると、みんなで一緒に帰りながら、その日のプレーについて話していました。

誰も、誰かのやる気を引き出そうとはしていませんでした。話したい人が、自分のプレーで引っかかっていることを、ぽつぽつと口にするだけです。


すでに克服した失敗でも、きれいに教訓をまとめた経験でもありません。


ついさっきやらかして、まだ悔しい。なぜあんなことをしたのか、自分でもよくわからない。そんな話です。


誰かが話し始めても、ここぞとばかりにアドバイスを浴びせたりはしません。ただ聞いていました。

すると、不思議なことが起こります。


自分のプレーを何とか理解しようと、仲間があれこれ考えている。その熱が伝わってきて、聞いている私の中にも、自分の失敗がよみがえってくるのです。


「ああ、俺もあのとき……」


気づくと、私も自分のやらかしを掘り下げたくなっている。何が起きたのかを理解して、次はもっとうまくやりたい。


仲間は、私をそういう気持ちにさせるために話していたわけではありません。自分自身に、まだわからないことがあった。それだけです。


アドバイスが禁止されていたわけでもありません。ただ、真っ先にすることではなかったし、最後まで出てこないこともありました。


一人ひとりが、自分の「サイロ」の中で考えている。でも、その壁は完全に閉じているわけではなく、考える熱が隣へとにじみ出ていく。


そんな感覚でした。


取り組んでいるのは、それぞれ別の問いです。それでも、一緒にいることで、自分の中の何かが動き始める。


仕事の場でも、まったく同じことが起こるのを見てきました。私自身、アドバイスをもらったり、きれいにまとまった成功談を聞いたりするより、こちらのほうがずっと考える意欲が湧いてきます。

ただし、ここにも落とし穴があります。


「なるほど。では、まだ解決していない自分の失敗を話して、みんなにも自分と向き合ってもらおう」


そう考えた瞬間、私はまた「人を育てよう」としています。


やり方が巧妙になっただけです。


語った話が、すべて本当だったとしても。


あの帰り道では、誰も、自分の成長を他人を変えるための道具にしていませんでした。


自分のプレーが気になる。何が起きたのか知りたい。もっとうまくなりたい。


それぞれに、それがあったのです。


教えることも、アドバイスも、成功体験を語ることも、必要な場面はあります。


でも私はまず、それぞれが自分の問いに取り組みながら、自然と影響を与え合う、あの帰り道のような関わり方を大切にしたいと思っています。


私自身、まだわかっていないことも、引っかかっていることも、山ほどあります。


それをいちいち、誰かのための教訓に仕立てなくてもいいのかもしれません。


 
 
 

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