発言の許可を待つか、自分で自分に許可を出すか?

私は、研修で参加者を安心させるのが得意でした。ところが、その「安心」が裏目に出ていたのです。
それに気づいたとき、私は仕事人生でいちばん深く落ち込みました。自分は何者なのか。自分の仕事には、どんな意味があるのか。そこから自信が揺らぎました。
きっかけは、ある参加者でした。私との関係もよく、研修を通して「別人のように変わった」と思っていた方です。よく笑うので、グループでは親しみを込めて「Dr. Giggles」と呼ばれていました。
ところが、実際の職場では何も変わっていなかった。
「ジェームズ、彼、今でも会議では発言しませんよ」
その一言で、私の自尊心は床に倒れ込み、しばらくそこでいじけていました。
何を見落としていたのか、はっきりわかったのは2年後です。この気づきで、グローバル会議における日本人の発言や参加への、私のアプローチは根本から変わりました。
鍵は、自分で自分に許可を出すことです。
私は、人に「発言していいですよ」という許可を与えるのが、とてもうまくなっていました。言葉で直接伝えるだけでなく、ちょっとした態度や場のつくり方を通しても。だからこそ、自分で自分に許可を出さなければ先に進めない研修へと、やり方を根本から考え直す必要がありました。
Dr. Gigglesに欠けていたのは、その「自分への許可」でした。私から発言の許可が出ているとわかれば、彼は研修を、ルールの明確なゲームとして捉えることができた。そのルールに従っている限り、自分で自分に発言の許可を出す必要はなかったのです。
だから、彼は一度もそれをしなかった。
研修で発言できていたのも、私がつくった心理的安全性があったからでした。私がその場を離れる。あるいは、彼が研修の場を離れる。すると、その許可は消え、できていたことまで消えてしまう。彼の変化は、結局、本人ではなく他者からの許可に支えられていたのです。
では、「スパルタ式」にすればいいのか。そうではありません。そういう研修も見てきましたが、何かが違う。そこで身につく攻撃性は、自分の主張を通すには役立っても、チームにとっては害になりかねません。
では、その間にある道は、どこにあるのでしょうか。
「自分で自分に許可を出す」という目指す先が定まれば、研修講師も、コーチも、リーダーも、この課題に正面から向き合えます。必要なのは、自分で自分に許可を出すことが、先に進む唯一の道になるような条件をつくることです。
具体的な方法は、今後の記事で書いていきます。今日は、一つ問いを残します。
あなたが相手を助けようとして与えている「許可」は、相手が自分で自分に許可を出す必要を、なくしてしまっていないでしょうか。




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