top of page

ルールと良心がぶつかるとき、誰がその代償を払うのか

執筆者の写真: jameschappell2
jameschappell2
10月16日
読了時間: 14分

「人生で一番きつい一週間でした」


目の前に座っているクラークは、明らかに疲れ切っていた。何日もまともに眠れていない。普段は精神的にかなりタフな人なのだが、話している途中、何度か涙をこらえているように見えた。


彼の社内での評判もかなり傷ついていた。それまで信頼関係を築いてきたチームのメンバーからも、「この人を本当に信用して大丈夫なのか」という目で見られるようになっていた。

でも、ようやく終わった。


8カ月かかった。


家が燃えていることを会社に認めてもらうために、クラークはその家の中に居続け、自分の身体に十分な火傷をつくり、「ほら、やっぱり火事でした」と証明しなければならなかった。


人事が冷酷だったわけではない。頑固だったわけでもない。彼らはルールに従っていた。

いくら経験豊富な人間の直感とはいえ、「何かがおかしい」という感覚だけで会社が動くわけにはいかない。


そうですよね?


この話に私が関わることになったのは、その8カ月前だった。


きっかけは、妙な感覚だった。


「今すぐシャワーを浴びたい」


クラークの会社で、私はアサーティブネス研修を担当することになっていた。その事前インタビューで、ゆみさんという女性社員と話をした。


予定は30分。


8分で切り上げた。


正直に言えば、3分で終わらせたかった。


MacBookを閉じたあとも、身体に妙な感覚が残っていた。

「シャワーを浴びたい。今すぐ」


何か汚いものが身体に付着していて、それを洗い流したいような感覚だった。


私は25年以上、人の育成に関わる仕事をしてきた。何千人という人と話をしてきた。でも、インタビューのあとにこんな感覚になったことは一度もなかった。


そして私は、自分でも驚くメールを彼女の上司であるクラークに送った。


この人は危険です。話をしましょう。


クラークに私が感じたことを説明すると、彼の表情が変わった。


彼は自分の部下を悪く見たくなかった。でも、私の話を聞いた瞬間、それまで自分の中で押さえていた不安が表に出てきた。


やっぱりか。自分も何かおかしいと思っていた。


そしてクラークから、これまで一度も頼まれたことのないことを頼まれた。


この社員について、私の専門家としての見立てを人事に話してほしい、と。

普段ならやらない。実際、それまで一度もやったことがなかった。


でも、あの感覚が消えなかった。


「今すぐシャワーを浴びたい」


私はクラークに言った。


「分かりました。人事とのミーティングを設定してください」


人事担当者は感じのいい人だった。私の話を真剣に聞いてくれたし、おそらく私の懸念も理解していたと思う。実はその時点ですでに、ゆみさんについて気になる話がいくつか人事にも入っていた。


私は8分間のインタビューで何が起きたのか、具体的に説明した。そして、それをどう見ているのか、この先どんな形で問題がエスカレートしていく可能性があるのか、ある程度の時間軸まで含めて話した。


私にとって、まったく見たことのないパターンではなかった。過去に痛い目にも遭っている。その経験から学んだこともある。


そして今回は、私の直感がけたたましいほど警報を鳴らしていた。

私はかなりはっきり言った。


「2000年代に自分で会社を経営していた頃の私なら、できるだけ早く辞めてもらいます。その判断に伴うリスクは、あとで自分が引き受けます」


なぜなら、こういうケースで判断を先延ばしにした結果、上司やチーム、そして会社全体に何が起きるのかを、私は過去に見てきたからだ。


本当に火事なのか確認するために、人が中にいる建物をしばらく燃やしておく必要はない。

しかし、私の見立てだけで会社が動くことはなかった。


ルールはルールだ。


クラークはゆみさんの成長を支援し続ける。同時に、何が起きているのかを一つひとつ記録し、証拠を積み上げていくことになった。


燃やしておこう。


そして、本当に燃えた。


私が人事に説明した流れにかなり近い形で、事態は進んでいった。


8カ月後、私の目の前には、すすだらけになったクラークがいた。眠れない日が続き、目は真っ赤だった。家庭にも影響が出ていた。


そして会社はようやく、十分な材料がそろったと判断した。


ゆみさんと交渉し、それなりの金額を支払って退職してもらうことになった。


ところが、8カ月かけてようやくそこまでたどり着いたあとも、会社は彼女にさらに3日間、職場で仕事をすることを認めた。


彼女はその3日間にも、いくつか新しい火種を残していった。


人事は「桃」に似ている

私は、人事という機能は桃に少し似ていると思っている。


外側は柔らかい。甘い。


社員育成、エンゲージメント、働きやすさ、コーチング、組織文化、ウェルビーイング。大きな問題が起きていないとき、人事はこうした非常に大切な「人」の仕事に力を使うことができる。


でも、その中心には硬い種がある。


リスク管理だ。


会社には、法的リスク、金銭的リスク、レピュテーションリスクから組織を守る責任がある。私の経験では、深刻な問題が発生してそのスイッチが入ると、人事の注意は一気にリスク管理へ向かう。そして、そのリスクがある程度コントロールできる状態になるまで、それが最優先になる。


なぜそうなるのかは理解できる。


ただし、会社がリスクを管理したからといって、リスクそのものが消えるわけではない。

誰かがそれを背負うことになる。


今回、そのかなりの部分を背負ったのがクラークだった。


人事が重大な判断をするためには証拠が必要だった。それ自体は分かる。


しかし、「もう少し証拠が必要です」という判断は、中立ではない。


証拠が十分に集まるまで、クラークは燃えている建物の中に居続けなければならなかったからだ。


たとえば、親しい女性からこんな相談を受けたとする。


「付き合い始めた男性がいるんだけど、何か変なの。うまく説明できないけど、もしかしたら暴力的な人なんじゃないかって、嫌な感じがする」


私はたぶんこう言う。


「その感覚を無視しないほうがいい。離れたほうがいい」

「もう少し付き合ってみよう。実際に何かされるまで観察して、きちんと証拠を集めてから判断しよう」とは言わない。


ところが会社では、それに近いことを人に求める場合がある。


そこにいてください。経験してください。記録してください。傷を増やしてください。そして、十分な証拠を持ってきてください。


この構図には、かなり重いものがある。


もちろん、「ジェームズが8分話したあとシャワーを浴びたくなったから、ゆみさんを解雇するべきだった」という話ではない。


そんな単純な話ではない。


でも、会社にできることは本当にそれだけだったのだろうか。


調査している間、クラークが受けるダメージを減らす方法はなかったのか。状況をどのくらいの頻度で再評価するのか。何が起きれば判断を変えるのか。他の人にも実際のやり取りを観察してもらえなかったのか。こうした高葛藤のケースを知る社外の人間に、クラークを支援してもらうことはできなかったのか。


そして、いったいどこまで積み上がれば「十分」なのか。


そもそも「証拠」とは何なのか

最近は「エビデンスに基づいて判断する」という言葉をよく聞く。それ自体は当然だと思う。


でも、こういうケースで考えてみると、そもそも何を「証拠」と呼ぶのかは意外と難しい。

元経営者であり、現在は企業研修に携わっている私にとって、あの8分間のインタビューには、少なくともクラークに連絡するだけの材料は十分にあった。


もちろん、その時点で私は「自分が正しい」と決めつけたわけではない。


クラークに連絡し、自分が何を観察したのか、なぜそれが気になったのかを伝えた。そして、自分の見立てが間違っている可能性も含めて確認しようとした。


するとクラーク自身も、すでに違和感を持っていた。


私が動いたきっかけは直感だった。


でも、その直感は何もないところから突然湧いてきたものではない。


ゆみさんは、私がクラークに彼女について何かを「報告した」ことで、自分の「心理的安全性」が傷つけられた、と私を非難した。


しかし、私は何も報告していなかった。


彼女が言っていることは事実と違うどころか、そもそも起こり得ないことだった。

そして私が特に警戒したのは、そのあとの動きだった。


「私はそんな報告をしていません」と説明すると、その点はほとんど気にする様子もなく、今度は「同僚たちが自分のことを陰で話している」と言い始めた。


その根拠も示されなかった。


私に向けられていた矛先が、事実関係を確認した途端、別の人へ移った。


初対面の研修インタビューで、これはかなり異常な展開だった。


「心理的安全性」という言葉の使い方も気になった。今の企業では非常に影響力のある言葉だ。彼女は初対面の相手に対して、その言葉をどこか威圧的な形で使った。


何を狙っていたのかまでは証明できない。


私に謝らせたかったのかもしれない。黙らせたかったのかもしれない。あるいは、単純に私を守勢に回したかっただけかもしれない。


ただ、会話の主導権を奪う働きをしていた。


そして私の身体は、それをものすごい速さで察知していた。


私はその8分間から、一つの見立てを立てた。


ゆみさんは、自分の仕事の進め方に対して非常に強いコントロールを求める人なのではないか。そして、他人からの介入、説明責任、望まないフィードバックなどを「脅威」として受け取る可能性があるのではないか。


もしそうなら、仕事上の問題を指摘されたとき、焦点を「仕事上の問題」から「それを指摘した人」に移すだろう。


非難、告発、人事用語、第三者の巻き込み、そして最終的には正式な申し立て。


そうしたものを使いながら、周囲を後退させ、「自分に干渉しない状態」をつくろうとするのではないか。


それが私の見立てだった。


そして、そこからいくつかの予測をした。


最初の予測が現実になったのは、最初のインタビューから一週間ほど後だった。そのあとクラークと私は人事と話した。


さらに予測したことが起きた。


では、どの時点で人事の判断基準は変わったのだろう?


これは今でも、私には分からない。


最初にあったのは、ゆみさんと8分しか話していない社外の人間の見立てだった。それだけで雇用上の重大な判断をするべきではない。それは私もそう思う。


しかし、その後クラーク自身の懸念と重なった。実際の行動として問題が見え始めた。私が予測したことが現実になった。そして、さらにエスカレートした。


では、企業は何を「証拠」として扱うのだろう。


観察された行動。経験からくるパターン認識。複数の人からの情報。そして、事前に予測したことが実際に起きること。


どこまでそろえば、対応を変えるに値するのだろうか。


本当に最初から最後まで、一連の展開を全部見届ける必要があったのだろうか。


その判断を私が代わりにすることはできない。


ただ、実際に会社が選んだ方法は分かる。


ルールを守るための耐熱手袋として、クラークの身体が使われた。


もしかすると、他に選択肢がなかったのかもしれない。会社として、本当に身動きが取れなかったのかもしれない。


だとしたら、なおさら無視してはいけない責任があると思う。


火の中にいる人を、どう支えるのか

最後にクラークと話したとき、彼から興味深いことを聞いた。


8カ月の間に私が彼と話したのは、たった3回だった。それでも彼は、その3回がかなり役に立ったと言ってくれた。


何が起きているのか。この先、何が起こりそうなのか。何は変えられて、何は自分ではどうにもできないのか。どこでは戦うべきで、どこでは自分を守るべきなのか。この状況が自分にどんな負担をかける可能性があるのか。そして、たとえ自分がかなり適切に対応しても、評判が傷つく可能性があること。


そういうことを整理できたのが大きかったという。


なぜなら、クラーク自身が途中から自分を疑い始めていたからだ。


社内の力関係から少し離れた人間が状況を見て、起きていることを言語化する。そして「次にこうなる可能性がある」と予測し、実際に何が起きたのかと照らし合わせる。


それによってクラークは、自分の感覚をもう一度信頼できるようになった。少し冷静になれた。そして、自分ではコントロールできないことに消耗し続けるのではなく、自分が影響を与えられることに注意を戻せるようになった。


そして、この8カ月にはもう一つ、見落としやすいことがあったと思う。


クラーク自身が、以前より有能になっていた。


私が彼を救ったからではない。そんなことはできなかった。


私が「こうしなさい」と答えを与えたからでもない。


非常に混乱しやすい状況の中に立ちながら、「今、何が起きているのか」を以前より正確に見られるようになっていったからだ。自分の判断のどこが正しかったのか。どこで自信を失いやすいのか。何はコントロールできて、何はできないのか。どう自分を守るのか。そして、これまで見たことのなかったパターンをどう見抜くのか。


問題が終わったあと、クラークにはもう一つ考えてほしいことがあった。

そもそも、なぜゆみさんを採用したのか。


クラーク自身、「最初から何か気になるところはあった」と認めていた。ただ、彼女は3カ月の試用期間中、とても熱心に働いていた。


一方で、クラークはそのポジションの採用に9カ月も苦戦していた。必要なスキルを持つ人がなかなか見つからず、かなり焦りもあった。


だから私は、採用時まで記憶を巻き戻して考えてみてほしいと頼んだ。


面接や試用期間中、直感が何かを伝えていた瞬間はなかったか。


何か小さな違和感を覚えて、それを合理化して流したことはなかったか。


9カ月も探し続けて、ようやく必要なスキルを持つ人が現れた。その「やっと見つかった」という気持ちが強すぎて、心のどこかにあった 「ちょっと待て。何かがおかしい」 という小さな警報を消してしまわなかったか。


彼が振り返って何を見つけるのか、私はまだ知らない。


でも、これも能力開発だと思う。


そして、ここに人事が逃した大きな機会があったのではないかと思っている。


桃が柔らかいとき、企業は「管理職の成長」について盛んに話す。内省しよう。自己認識を高めよう。コミュニケーション能力を磨こう。レジリエンスを高めよう。判断力を養おう。

ところが、桃の硬い種が前面に出てくると、その話が消えてしまうことがある。


しかも皮肉なことに、管理職にとって最も大きな成長機会になり得る、まさにその瞬間に。

クラークが主に求められたのは、「引き続き対応してください。そして証拠を集めてください」ということだった。


でも、その8カ月の間に、彼は何を学んでいたのだろう。


会社は、彼がただ壊れずに証拠を集め続けるのではなく、この状況を以前より上手に扱える管理職になるために、何を支援できたのだろう。


そして何より、この経験からクラークが「もう人を信用しないほうがいい」「もっと冷たい上司になったほうが自分を守れる」という結論を出さないために、会社は何ができたのだろう。


実際、最後に会ったとき、彼はその可能性を考えていた。


それは人事にとっても、かなり気にするべきことだと思う。


ルールを守るコスト

8カ月が終わったとき、クラークは疲れ切っていた。社内での評判は傷つき、家庭にも多少の影響が出ていた。チームの中には、以前とは違う目で彼を見る人もいた。


そして彼自身、「これから自分を守るには、もっと冷たいマネジャーになったほうがいいのかもしれない」と考え始めていた。


一方、会社にはようやく十分な証拠がそろった。


ゆみさんは退職した。目の前のリスクは処理された。


通常のリスク管理という観点から見れば、「仕組みは機能した」と言えるのかもしれない。

でも、私はそれだけで収支を合わせてはいけないと思う。


ルールそのものは合理的かもしれない。人事担当者も誠実だったかもしれない。法的な懸念も当然ある。問題行動を指摘された社員が、根拠のない判断から守られることも絶対に必要だ。


それでも、そのプロセスが別の人に大きなダメージを与えることはある。


その損失も、同じ帳簿に載せる必要がある。


会社が「判断するには、もう少し証拠が必要だ」と決める。それはいい。

でも同時に問うべきだ。


その証拠が集まるまで、誰がリスクを背負うのか。そして、その人が単に傷ついていくのではなく、この経験を通じてより有能になれるように、会社は何を支援できるのか。


そうでなければ、


「もう少し証拠が必要です」


という、とてもきれいな会社の言葉の裏側で、誰かがとても汚い仕事を引き受けることになる。


私は、あの日シャワーを浴びてよかったと思っている。


クラークも立ち直るだろう。そしてできれば、以前より強くなって戻ってきてほしい。自分の直感をもう少し信頼できる人として。そして、次に同じような状況に出会ったとき、以前より早く気づき、以前より上手に対処できる管理職として。


ただし、一つだけ勘違いしてはいけない。


人が火傷から何かを学べることと、その人を火の中に置き続けてよかったことは、まったく別の話だ。


ルールには、「なぜ今は動けないのか」を説明する力がある。


でも良心が問うのは、その間の代償を誰が払っているのか。そして、ルールには書かれていなくても、自分たちにできることは本当にないのか、ということだ。

 
 
 

コメント


bottom of page