命に関わらない場面では、心理的安全性が新たな問題を生むことはないだろうか?

人が声を上げないことには、大きなリスクがあります。特に、命に関わるような現場ではそうです。
たとえば、看護師が「この薬、間違っているのでは?」と気づいたとします。声を上げて、結果的に間違っていたとしても、失うのは30秒程度かもしれません。でも、何も言わず、本当に薬が間違っていたら、人の命に関わるかもしれない。
しかも、こういう場合は比較的すぐに確認できます。薬を確認する。カルテを見る。投与量を確認する。看護師が正しかったのか、そうでなかったのかが分かれば、次に進めます。
火災報知器と同じです。料理を焦がしただけで鳴ることがあっても、本当の火事を見逃すよりはずっといい。
命に関わる場面では、多少の「空振り」が増えても、できるだけ小さな異変を拾うようにするのは理にかなっています。
しかし、普通のビジネスで同じように「何でも拾う」方向に振りすぎると、思わぬ問題が起きます。
何年も前、ある大人数のチームミーティングに参加したことがあります。顧客に関する悪い結果が出たので、リーダーが全員を集め、どうするかを話し合うことになりました。
多くのメンバーは問題をある程度理解していて、早く解決策の話に進みたいと思っていました。
リーダーの始め方は、心理的安全性という意味では模範的でした。
「思っていることは何でも言ってください。悪いアイデアなんてありません。こんなことを言ったら馬鹿にされるかな、なんて心配しなくていいです」
ところが数分もしないうちに、会議は経験が浅いのに妙に自信のある数人に乗っ取られてしまいました。
彼らはリーダーの言葉を文字通り受け取り、次々と解決策を出し始めました。でも、経験のあるメンバーから見ると、どれも本当の問題を捉えていませんでした。
これは別に珍しいことではありません。
まだその仕組みをよく理解していないとき、自分のアイデアは実際以上によく見えるものです。私もやったことがあります。
問題は、その後でした。
誰も、
「そこは本当の問題じゃないよ」
「それがうまくいかない理由は、もう分かっている。次に進もう」
と言い出せませんでした。
そんなことを言ったら、自分が「人の意見を聞かない人」になってしまう気がしたからです。
だから、誰も止めませんでした。1時間後、会議は終了。ほとんど何も決まりませんでした。
私たちは「人の気持ちを傷つけていないか」を感知するセンサーを最大にして、「みんなの時間を無駄にしていないか」を感知するセンサーをオフにしていたのだと思います。
心理的安全性についての議論には、一つ抜けているものがあると私は思います。
発言するには、不当な扱いを受けない安心感だけでなく、何を発言するかを判断する力も必要です。
仕事をする以上、頭に浮かんだことを全部口にするわけにはいきません。
どの考えは共有する価値があるのか。
どの質問に、他の人たちの時間を使う価値があるのか。
どのアイデアは、まず自分でもう少し考えるべきなのか。
そういう判断も必要です。
そして普通のビジネスでは、これが意外と難しい。薬の例と違って、「その話に時間を使う価値があるのか」をすぐに確認できないことが多いからです。
時間の無駄だったと分かる頃には、もう時間を使ってしまっている。
もちろん、経験のある人が間違っていることもあります。新人だからこそ、他の誰も気づかなかったことに気づくこともあります。
だからこそ、判断力が必要なのはリーダーだけではありません。全員です。
もし私が会議で、面白そうだけれど本題から外れた話を次々と投げ込み、周りの人が私を止めることに気を遣って何も言えなくなっているとしたら、それは健全なチームになったということではありません。
別の問題を作っただけです。
そして誰もそれを私に言ってくれなければ、私はその違いに気づかないままかもしれません。




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